❝ 誰にも負けないくらいの素振りをした。
❝ 現役時代、僕がバッターボックスへ入ったときに、相手チームのベテランキャッチャーが話しかけてくるわけです。「おまえ、構え(打撃フォーム)変えたのか」とかね。何も変えてなかったのに指摘されて、えらく気になって「そうですか?」なんて答えている間に三振を取られたことがありました。バッティングの基本は集中力と積極性ですが、話しかけられて集中力が乱されました。逆にこれは使えると思って「ささやき戦術」を始めたのです。
❝ やる事をやらないと自分にどういう素質があって、どういう才能があるか分からない。
❝ 若いときは24時間野球漬けになって、どうしたら成績を残せるかだけを考えなさい。決してバチは当たらないから。
❝ 私自身のバッターとしての才能は、はっきりいって二流でした。打率でいえば、いいとこ2割5分です。けれども、戦後初の三冠王をはじめとして残した結果は一流だと自負しています。何故そんなことができたかというと、人の何倍も努力したからです。
❝ 北国の春は、まだ遠し。開花宣言してくれよ誰か。
❝ 35歳を超えて敵がいないということは、人間的に見込みがないことである。
❝ サッチー(沙知代夫人)がいなきゃ幸せな人生はなかった。感謝感謝ですよ。
❝ (現役時代、勝っている間はパンツを替えなかったことについて)自分の力不足を縁起でカバーしていた。
❝ 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
❝ 人間のいいところは、どんな可能性があるのか、その可能性を引き出す、見つける事が人生そのもの。
❝ 正しい努力をできることは野球選手として成功するための必須条件だといってもいいでしょう。これは、私の指導方針の大きな柱でもあります。方向違いの努力に走って、自らの才能を潰してしまう選手を数多く見てきましたから。
❝ 本質的な質問を投げかけ「仕事」に対する深い理解へと導くことが重要なのだろう。
❝ V9時代の巨人を指して、「あれだけの選手が揃っていれば、どうやったって優勝できた」という人がいますが、それは違います。あれは王貞治、長嶋茂雄という「チームの鑑」がいたからこそ、成し遂げられた偉業なのです。
事実、私が南海で四番を打っていたとき、巨人から移籍してきた相羽欣厚という選手がこう言っていました。「ON(王・長嶋)は練習でも一切手を抜かない。球界を代表するあの二人があれほど練習しているのです。
自分達だってやらないわけにはいきませんよ」。それを聞いて当時の私は、身が引き締まる思いがしました。
❝ (自らの幼少時代)貧困も貧困。いろんなアルバイトやらされて、母親の苦労してる姿ばっかり見て育った。